2018年12月に、一か月ほど語学留学でアイルランドに滞在した。行くことにした理由は、とても軽薄なものだった。前年に友達がカナダへ語学留学したのを見て、真似してみたくなったのだ。
当時、フィルムカメラを始めて半年ばかりで、それを持って撮影したい欲も高まっていた。留学先はフィリピンも候補にあったが、写真をたくさん撮れそうなヨーロッパにしてみた。中でもアイルランドは、「イギリスに近いし都会的な国なんだろう」と想像して行ってみることにした。
アイルランドの知識は、そんなふうに「イギリスの西にある小さな島国」くらいしかなかった。首都がダブリンなことも、着いてから知ったくらいだ。本当に軽薄だったなと今になって思う。
ともかく3週間のコースを選択し、滞在中は語学学校が紹介してくれた家にホームステイすることとなった。そのときお世話になったのは、アンジェラというアイルランド人の女性が一人で住む家だった。
アンジェラには、当時45歳のぼくと同い年の子どもがいた。なので年齢は、70代前後だったのかもしれない(当然ながら聞いていない)。ぼくとは年も離れていて、性別も国籍も、何もかも違うように思える。それでもなぜかぼくは、アンジェラと気が合った。
朝起きるとアンジェラはパンやヨーグルト、果物などを朝食に用意してくれていた。それを食べながら、毎日、ダイニングで1時間ほど話をした。つい話しすぎてしまい、遅刻しないように学校へ走って行くことがよくあった。
夜にも、ご飯を食べてから2時間くらい話をした。アンジェラは日本に興味があり、一度、訪日の経験があった。そのときに撮った写真を見せてもらったり、勉強しているという日本語の教科書を読ませてもらったりした。
それでも毎日、2時間も3時間もの間、何を話していていたのだろうと思う。あまり記憶が定かでない。
語学学校の初級コースに行くくらいだから、ぼくの英会話のレベルは推して知るべしである。まともに英語を話せない日本の中年男性と年老いたアイルランド人女性とが同じ屋根の下で暮らし、毎日、2時間も3時間も向かい合って話をしていたのだ。
果たして、会話は成り立っていたのだろうか。今でもその事実を思い返すと不思議な気持ちになる。それでもぼくは英語をうまく話せないことに、あまり苦痛を感じなかった。むしろアンジェラとは、日本で過ごしているときよりリラックスした時間を過ごせた。
アンジェラが用意してくれる晩御飯を、夕方6時ごろから二人で食べ始める。その後、ダイニングに残り紅茶を飲みながら会話をした。あまりにも居心地が良かったので、ダイニングで向かい合っているその時間がいつまでも続くような気がした。
ある夜、アンジェラが作った鶏肉のロースト(とても美味しかった)を食べ終わったあと、「ブラック・ティーを飲む?」とぼくに聞いてきた。それは夜の会話がスタートする合図だった。
マグカップにティーパックを入れて、ポットで沸かしたお湯を注ぎ込む。マグカップを手渡してくれたアンジェラと、湯気がうっすら漂う二つのマグカップを挟んでいつものようにテーブルに向かい合った。
沈黙しているときには、お互いが別のことを考えていた。どちらかがポツリポツリと断片的な会話をして、また沈黙になる。
誰かと向かい合って座るとぼくは「何か話さないと」「気まずい空気を避けないと」と緊張してしまうことがよくある。しかしアンジェラとはそれがなかった。キッチンマットの上には、アンジェラの飼っている2匹のグレイハウンドが静かに寝息を立てていた。
その日の会話は、アンジェラの家族のことだったように思う。アンジェラには二人の子どもがいて、一人は家から30分くらいのところに暮らしている。もう一人の話になると、言い淀んで伝えづらそうにしていた。
ぼくも無理に聞こうとはしないで、温かい紅茶を啜りながら向かい合ったままでいた。するとふと、アンジェラが呟いた。
「アイ・ラブ・ソリチュード(私は孤独を愛しているのよ)」
アンジェラという女性の背景が、その言葉だけで肌感覚で理解できたような気がした。細かいことを聞かなくても、彼女の性質を知るには十分だった。
そしてぼくはその言葉を聞き、なぜだか温かい気持ちになっていた。なぜだろう。それまで「一人でいるのは恥ずかしいこと」と思っていた部分があったのかもしれない。
家族や仲間に囲まれ、いつも楽しくしているのが良いことで、一人でいるのは世間的にネガティブなこと。そんなふうに思い込んでいた自分の心が、ほぐれていくのを感じたのだった。
そしてこう思った。もし日本で「ぼくは孤独を愛しているから」といえば、なんて思われるだろうか。例えば「飲み会」で口にしたらどうだろう。冗談と思われて笑いが起きるかもしれない。
学生時代、休み時間に「トイレ行こうぜ」と誘われることがあった。いわゆる「連れション」というやつだ。「ああ、いいよ」とついていきながらも、なぜ一緒にトイレに行く必要があるのだろう、と不思議に思っていた。
一人で映画を見に行ったり、食事するのは自分にとってごく自然なことだ。しかしそんな些細なことが「ぼっち」とラベリングされ、輪郭が強調される。まるでそれが恥ずかしいことのように。
いつでも明るく振る舞わないといけない。隅っこでいいから、群れに入っていなければならない。本当は一人でいたいけれど、変な人だと思われたくない。冷たい人間だと思われたくない。
アンジェラが話した「アイ・ラブ・ソリチュード」という言葉は、そうして緊張して過ごしてきたぼくを優しく包んでくれる言葉でもあった。
3週間の語学学校の後、ぼくはアンジェラに別れを告げて、アイルランドを後にした。移動したロンドンの駅の窓口で切符を買おうとすると、「あなたの英語は全然わからない」と駅員に迷惑そうな顔でいわれた。語学留学したところで、英語力はまったくといっていいほど向上しなかったのだ。
英語力も上がらない、アイルランドという国のこともよくわからないまま。それでもアンジェラがふと漏らした一言は、紅茶の湯気の香りとともに胸の中に残っている。
孤独は愛して良いものだし、それを人に話すのもおかしなことじゃない。誰だって心の中は一人なのだ。ロンドンの地下鉄に一人揺られながら、そんなことを思った。